こまこまぶろぐ

妻一人、息子二人と暮らす父親の奮闘記

#71 あなたは何回引っ越ししました?

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どうもこまこまです。

みなさんは何回ぐらい引っ越しましたか。

私は現在のところ物心ついてからは15回引っ越ししました。

普通の人より多いかと。

私の引っ越しヒストリーの記事です。

時間の無駄になりますので興味ない人は読まないでください。

 

 物心ついた時には熊本県八代市にいました。小さいときは父の転勤の関係で鹿児島県奄美大島に住んでたこともあったそうです。なのでハブとマングースの戦いはみてません。2回目の引っ越しは小学2年生のときで両親と姉の4人家族全員で同じ八代市内で一戸建ての新居に引っ越しました。新しく自分の部屋があるのですが姉は6畳洋間、私は3畳半の畳の部屋。当時はあまり気にならなかったのですが、高校生になって姉が一人暮らしを始めたときに洋間6畳の方を自分の部屋にしました。地元の大学に合格して実家から40キロぐらいで電車で通えなくはないのですが一人暮らしがしたいと両親にお願いして3回目の引っ越し。初めての一人暮らしで大学生活は退屈な時間との闘いでした。大学生活は目標もって生活していかないとパチンコ、麻雀のギャンブルなど不毛な時間を過ごすことになりがち。もちろんいろんな人との出会いで視野は広がりますが、何のために大学に通学するのか分からなくなります。日本はほんとに大学受験合格で勉強から離れるのが普通の国なので。大学2年生の時にキャンパスは変わらないのに人生で4回目の引っ越し。たしか月3万の家賃の6畳和のワンルームから月3万6千円の8畳洋のワンルームに引っ越しました。親の経済的な負担は全く考えてない親不孝な息子ですね。当時の大学授業料が半期で16万9800円で現金で支払いにいって17万円払って200円のおつりをもらう時にはいつも親のありがたみを感じてました。

大学4年生の最後のほうは一人暮らしに飽きて八代の実家への4回目の引っ越し。就職が決まり実家から3年間通勤したのち県内でも天草という120キロほど離れた場所へ転勤が決まって5回目の引っ越し。はじめは世帯者用の職員住宅に5300円で一人で住んでたのですが、昭和40年代に建てられたボロボロでシャワーもついてなくて無駄に部屋数が多くて暮らしにくいのが難点。天草勤務2年目で人気が高くてくじ引きになる単身アパートにくじ引きの結果6回目の引っ越し。天草はコンパクトシティでとても暮らしやすくて独身暮らしは楽しかったですね。飲み歩くことが多くて土日もひたすら読書してた感じ。3年周期の定期異動で熊本市内へ7回目の引っ越し。この時にもっと学んで何かチャレンジしたいとふつふつとした気持ちから国家資格の技術士に挑戦し見事合格。資格試験の勉強していると目標に向かって勉強するわけで毎日の生活に充実感があります。資格取得すると目標がまたなくなり熊本市内の一人暮らしは退屈な日々。

人生には何か目標がないとダメですね、私の場合。ご縁があって結婚することになって同じ熊本市内の新築2LDKアパートへ8回目の引っ越し。ここで第1子が誕生して充実したイクメン生活。子供はかわいいですから積極的に育児に参加しました。ミルク作って飲ませる、おむつ替え、寝かしつけ、お風呂入れその他いろいろ。近くに実家がなかったので夫婦二人で必死でした。第2子の次男が生まれるタイミングで同じ市内の職員住宅へ9回目の引っ越し。家賃が安いので家計のことを考えて引っ越ししたのですが失敗でした。同じ職場の連中が住む社宅みたいなところは周囲がすべて仕事関係のつながりがあるわけでそれだけで気を使います。子供2人が小さくて大変なので職場に希望をだして嫁さんの実家の近くに住めるよう異動先を希望しました。希望が通って10回目の引っ越し。嫁さんの実家と目と鼻の先、スープが冷めないくらいの距離の2DKアパートに3年間住みました。近くに実家がある関係で子育てが随分と楽になったのですが、次男の意味不明は夜泣きには2年半苦しめられました。またまた人事異動で熊本市内に来るときに、土地購入して一戸建ての自邸を建てたのですが、タイミングが合わず自邸の目の前のアパートに一旦11回目の引っ越し、3カ月で12回目の引っ越しで新居へ。

3年間の快適な新居生活ができていたのですが人事異動で天草となり、13回目の引っ越し。前述の単身用アパートがくじ引きで外れて民間アパートへ。年度途中に単身用アパートに空きがでたので14回目の引っ越し。人事異動で熊本市内の自邸へ15回目の引っ越し

以上、こまこまでした。