こまこまぶろぐ

妻一人、息子二人と暮らす父親の奮闘記

#58 私の人生の3大ピンチ

どうもこまこまです。

私の人生にはピンチが3回ほどあった。

 ー 目次 ー

 

ゲームセンターでの悪行

まず最初は、小学校から中学校へと進学するタイミングで起きた。その頃、ゲームセンターなどでインベーダーゲームドンキーコングのゲームを100円硬貨を一枚入れて楽しむスタイルが流行っていた。近所の書店に置かれたドンキーコングゲーム。そのゲームに熱中していた私は友達と一緒にゲームに夢中になると同時に、あることを発見。

無料でゲームができる禁断の裏技。

針金を持ってきて100円硬貨の形に先っちょを丸くして偽100円硬貨を形作る。

そこからはお分かりのとおり100円硬貨が入ったようにゲームに誤認識させるのだ。

悪いことと分かっているのにやってる確信犯はあえなく書店の店長さんにその悪行を見つかった。当然、すぐに親が呼ばれて警察沙汰にする店長に対して両親は必死に頭を下げてくれた。親のありがたみを感じた私は親を悲しめないようにしようと誓った。

 

飲酒運転での人身事故

 私は大学に入っても高校時代の友達とたまに一緒にあってお酒を飲んで楽しむことがしばしばあった。大学生活は時間はたくさんあるのでバイトしてパチンコでも少し大勝ちしてお金が貯まった。親の反対を押し切り中古の車を40万円で購入した。正直どこか気が大きくなっていた。

その日も自分が中心となって8人ほどの友達集団を形成して福岡の中心地でベロベロになるまで飲んで車で帰ることになった。車を買って1週間、ちょっとした高揚感もあり飲酒運転への罪悪感も当時二十歳の若者にはなかった。友達を載せて私は車を運転して気が付いた時にはタクシーと正面衝突していた。とんでもないことをしたと気づいた私は必死にその場から逃げようとしていた。最低な男。幸いなこと?に車が動かなかった。もし動いていたら私はひき逃げ犯罪者になっていた。この時父親は必死に私のやった悪行をなんとかリカバリーするために車で1時間半ほどかかる福岡を訪れて入院している被害者の運転手のもとに謝罪訪問。警察のところにも菓子折りもって謝罪訪問。そのほか車の廃車手続きや保険屋さんと協働作業がいろいろ続いた。

二十歳になって2週間ほどの出来事で成人になってることもあり、正直私の人生は終わったと思った。この頃の社会はまだ飲酒運転に寛容で警察の方も飲酒運転をなかったことにしてくれた。また不幸中の幸いでタクシーの運転手の方がとてもいい方で示談に応じてくれた。まだ若い将来のある私の身を案じてくれた。それでも30日くらいの入院が必要となったので90日免停、28年くらい前の出来事で詳しくは覚えてないが略式裁判かなにかで17万円を裁判所に支払いにいったのを覚えている。

とにもかくにも父親には頭が上がらなかった。父親は私を叱りはしたと思うがあまりその記憶はない。必死に私の身を案じて何もできない私をただただ助けてくれた。

ちなみにこの一件の謝罪関係でかかった費用の総計は40~50万くらい。隣に座っていた友達はシートベルトもしていなかったのでフロントガラスに顔をつっこみ顔中に後傷が残った。しかし当時の法律だと友達には何も責任がなく同罪にはならない。私だけが罪を負うことに少し矛盾を感じた。

 

うつ病で4カ月の休職

就職した私は仕事に対して何事も前向きに真摯に取り組むことが自分の信念でした。

キャリアを重ねて11年。私は重要プロジェクトの部署に異動になった。職場でも期待されていることが分かった。やる気に満ちていた。一方でプライベートでも結婚して子供が生まれて充実の日々。年子で二人目の子供も妻が妊娠してさらに頑張る決意。新たな職場に近くがいいからと思い妻の反対を押し切り職員住宅に引っ越し。二番目の子は無痛分娩なので計画していつ生まれるかが分かっており、引っ越しする次の日が分娩の日という強行スケジュール。

新たな職場では分からないことだらけで何か今までの仕事内容と勝手が違う。プライベートでも二人の子供を必死で夫婦協力して子育ての日々。今思うと充実している人生のようだが少し密度が濃すぎて生き急いだ感じ。

だんだん心身が疲弊していった。新聞やテレビにも関心がなくなる。朝から電気ショックのようものが身体に走り倦怠感がひどい。食欲がなくなり夜まともに眠れなくなった。睡眠薬抗うつ剤を飲んだ。4月に始まって10月にはついに職場に出勤ができなくなった。

ただ毎日疲れた身体を休ませるのが私のやるべきこと。毎日が地獄の日々でした。これから自分の人生はどうなってしまうのか。妻とも何かと喧嘩が増える。妻も不安でいっぱいだったと思う。こうした日々が4か月過ぎて何とか職場復帰することができた。

職場に復帰する日は人生で一番仕事に行きたくない日でした。迷惑をかけた周囲の反応が気になるし、仕事に復帰できるのか不安だったが、周囲の気遣いもあって徐々に慣らしていき、4月の定期異動で別の部署に異動となった。人生観が大きく変わった。頑張ったものが救われない、バカをみることもあることを知った。

 

人生は山あり谷ありで、いろんなことがある。

以上、こまこまでした。

 

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