どうもこまこまです。
人間は今から12,000年前に狩猟採集社会から土地を耕して食料を生産すると言う農耕社会となりました。それ以前は木の実や魚、うさぎを食べて地球上に生存していた。
その狩猟採集社会では結婚や家庭と言う概念はなく、生物学的に本能のまま生きるためには食べる必要がある。狩猟採集では安定供給が困難なはず。なので余れば食料を確保して周囲の人に分け与える習慣があったと思う。それから人類は農業革命により農耕社会となり食料の自給自作が可能となり余剰が産まれた。
狩猟採集社会は余剰はなく自分らの食べたい木の実や魚だけを確保し食べるその日暮らしの連続でしかない。農耕社会は将来への備え保存を可能とした。
余剰により人類には国家、宗教、通貨、支配者
、文字、債務、官僚制、軍隊が産まれた。このような狩猟採集社会から農耕社会への変化による知識は
父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
に語られているので書籍をぜひ一度読んでください。
父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
- 作者: ヤニス・バルファキス,関美和
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2019/03/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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男女による規制の関係はなんとなくわかるが親子関係が客観的に識別できたのか。おそらく女性は自分の子供と認識して見育てるが男性はわからなかった。現代でもDNA鑑定をして白黒つける場合もあるくらい。
要するに男は誰の子供なのかは関係なく生きていた。なので本質的に子供を育てていく過程で生産による考え方の違いが植え付けられている。
私には高校生の長男がいます。県内トップクラスの進学校に入学。
しかし今は全く勉強しない。
私は子供の授業参観や三者面談には割りと積極的に参加してるので学校での様子は知っている。スマホ依存症のように家庭内でも使用してるので勉学は疎かな感じ。
我が子が部活動や学校でどうしてるかが関心があるし子供の成長過程を親としてしっかり観察していきたいと思っています。
子供たちが高校生となり自分の選択判断ができる年齢になって勉強するかしないかは自分自身が決めることだと思います。
自分自身が頭では勉強したいと言うマインドであっても勉強ができない自分がいることもあるかもしれません。それも自分の責任で判断していることです。人間できない理由を考えるのは簡単です。
今自分自身ができていないと言う事実を受け止めて勉強できるためには何が必要なのか自分の頭で考え抜くさらに行動する自責マインドで、自分の人生について他人は誰も責任を取ってはくれません。
何も行動しないといことは野球でいうとバッターボックスにて3球とも見送り三振するようなもの。三振でもいいからバットを振る。行動するしかない。
— こまこま (@komakoma41) 2019年8月11日
以上こまこまでした。