こまこまぶろぐ

妻一人、息子二人と暮らす父親の奮闘記

#201 大人の学び直し!【読書感想】私とは何か

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

読書は最高にコスパがイイ自己投資。

どうもこまこまです。

 

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

を読了したので記事を投稿します。

 

私が大学生のとき身分はモラトリアムでお金はないけど自由な時間だけはたくさんあり、自分とは何か?と夜な夜な考え悩んでいました。

あの頃悩んでいた自分がどうにかこうにか30年近く社会の荒波を乗り越えてきました。

とくに結婚して自分の子供が誕生してからしばらくは心身ともに疲弊しながらもパートナーと協力して子供達と一緒に成長させてもらいました。

 

現代の日本は自由な権利が保障してあるのでいろいろ思考するのも自由です。

いろんな仕事があるなかで職業選択も自由だしいろんな人と知り合う中で結婚相手も自由に選択できます。

逆に自由な選択肢があるので人は悩みます。

ジャム理論が有名な話で人はジャムが5種類なら選択できるが20種類以上になると選択できなくなるそうです。

自ら学び続けて教養や思考力を研鑽し多様な選択肢から最適解を模索していきたいですね。

 

さて本書では人はそれ以上分けられない「個人」でなく対面する人によって複数の「分人」が存在すると提示しています。

私は、職場で仕事してる自分、家族の中でも妻のパートナーとしての自分、子供達からして父親としての自分が各々います。

また母親の前であれば母の子供としての自分もいるし、大学時代の友人と話すときはその友人と過ごした時間をベースとした自分がいます。

たしかに複数の「分人」をもつ自分についてポートフォリオを組み人生を歩んできました。

とくに子供を養育する時間へは惜しみなく投資することとし塾や部活動の送迎は最優先事項です。

子供の部活動では親同士のコミニケーションの場でもあり新たなコミニティーが自然発生します。

今の時代、会社や地域といったコミュティーへの帰属意識は希薄化しています。

 

アメリカでは国家元首自ら人種やイデオロギーの違いを煽り他者への不寛容さがコミニティーの分断を生み出しています。

一方で日本は労働人口の不足からほぼ移民政策に突入してる。

過熱する資本主義経済が生産性向上のため外国人労働者に依存するのは仕方がないことですが、ほぼ単一民族としての国家の成り立ちをもつ日本社会へ適応できるのか?

これからのコミニティー形成には分人主義的な寛容さが不可欠なことかもしれません。

以上こまこまでした。