こまこまぶろぐ

妻一人、息子二人と暮らす父親の奮闘記

#202 心の余裕と好奇心と無駄への寛容

夏でも冬でも我が家では食卓に鍋。

どうもこまこまです。

 

サラリーマンの業務は効率性追求の美徳にしか注目されない。

とはいえ現代社会における便利さの追求は資本主義の源泉であり当然の原理原則。

そもそも無駄ともいえる遊びがないと便利さ向上のイノベーションが生み出されない。

だってその業務のやり方が最も効率的かどうかって誰が決めたの?

子供の頃、学校の帰り道にいつもとは違う道草をしてたら新しい発見があったりした?

たわわに実ったビワを食べてたら隣地でザクロを発見したり、用水路で手足がついた進化中のオタマジャクシを発見したり。

過剰なコンプライアンス、用水路はコンクリートで固められて、放課後には習い事ばかりの現代の子供達にはなかなか経験できない。

 

15年前私は土木の技術屋として役所内で働いていたところ税金徴収の部署へ異動を命じられた。

周囲の先輩からは土木技術とは関係ない無駄な異動と揶揄されたけど当の本人(私)はやる気満々。

 何故か?というと営業マンみたいに徴税した成果が数学で表れるんです。

役所内では珍しく明確な数字による成果主義的な仕事が私の性分に合っていた。

成績のランキングが毎月発表されるたびに順位が気になる。

順位にこだわる私は税金徴収のために滞納者の実家や職場に電話する。

さらに、不動産取得税や個人事業税の税目について勉強したり法人や不動産の登記簿を閲覧したりするので税金や会社の財務、会計に詳しくなった。

これが会社経営していた父が亡くなったときに役立った。

 

人生100年時代を迎えて50歳になってもまだ中間地点。

長い人生に無駄なことなんてひとつもない。

無駄なことかどうかの尺度はなくて、心の余裕と好奇心だったり何事も前向きに捉える寛容さが大切なことではないか。

 

以上こまこまでした。