こまこまぶろぐ

妻一人、息子二人と暮らす父親の奮闘記

#222 人生という大海を航海していくには自分軸を見定めるコンパスが必要!

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すっかり満開だった川沿いの桜も葉桜に変わり、新しい職場での仕事が本格的に始まりました。

 

県庁生活28年目になると異動で職場が変わっても知ってる人が多いのは助かります。

 

若い優秀な人が周りに多くいて自分も多くの学びを得ることができそうです。

 

若いときには立身出世のことを割と考える自分がいて定期異動では何かと同期と比較してばかりしてました。

 

12年目で仕事と家庭の両立がうまくできなくて、うつ病にかかり4ヶ月休職。

 

それから出世レースからは縁遠くなり他人と比較しても意味がないと感じるように。

 

しばらくは定期異動のたびに腐る自分。

しかし、いろんな学びから自分軸をしっかりもつことの大切さに気づきました。

 

仕事には自分の代打はいくらでも存在します。

家族の大黒柱として自分の代打はいません。

 

まず自分の健康を第一に考えること。

次に家族を大切にする価値観を自分の中心軸に考えるようになりました。

 

そして、自分は人生で何を成し遂げたいのか?

 

人はみんないつかは死を迎えます。

 

あと平均寿命まで生きたとして残り40年ほど。

自分が死ぬ瞬間に後悔だけはしたくない。

 

先日、同じ職場の人で土木技術者として全国のいろんな役所を渡り歩く人とお話しました。

 

その人は25年間勤めた中国地方整備局を50歳で退職。

偶然にも東日本大震災の年だったそうです。

 

北海道で2年間の充電期間のあと、土木の知識と経験を活かして任期付職員として岩手県で採用。

 

岩手県では震災のあとの災害復旧工事に携わったあと、島根県職員を経て平均28年熊本地震で職員不足に悩む熊本県に採用。

 

熊本県職員として災害復旧工事の監督業務に3年間携わりこの度、熊本から福島県へ旅立ちました。

 

まさに渡り鳥のような人生。

 

25年間働いた職場をやめるときはずいぶんと周囲の人から引き留められたとのこと。

 

当時、周囲の人からは「その年でやめてどうする?」とか「そのまま定年退職して○○協会に入って安定した生活がある。」とかいろいろ言われて。

 

でも自分の人生は自分で選択したいという強い気持ちとどんな人生を歩みたいかが明確だったので周囲の反対を押し切り辞めたそうです。

 

日本は自由にいろんなことが選択できる国。

他人の価値基準と合わせるのではなく自分の人生がどうありたいのか、どんなことを言われてもブレないもの。

 

人生という大海を航海していくには自分軸を見定めるコンパスが必要です。

 

次々と働く場所を変えて土木技術の知識を通じて困ってる地域にいって社会貢献していく姿は立身出世とは無縁な生き方。

 

私も独り身であればそんな人生もいいかも、とぼんやり考えてました。