こまこまぶろぐ

妻一人、息子二人と暮らす父親の奮闘記

#75 【受験】30年前の大学受験戦争ってどんなだったか

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みなさんは大学に入るために受験戦争を経験しましたか?

もう30年前の話ですが、私の大学受験戦争に立ち向かってどんなだったか記憶を呼び覚ましながら書いてみます。

 

国立大学を目指して受験勉強開始 

麻雀ばかりの高校生活

私は地方の田舎に生まれ育って地元の普通高校に通ってました。

1年生、2年生の時はほとんど勉強してませんでした。

ひたすら友達と麻雀してました。

ちなみに麻雀はいろいろ悪い印象もあるけど頭を使うよく考えられたゲームです。

親もあまり勉強しろとか言われることなく漫然と毎日が過ぎてました。

 

体育祭が終わり勉強に一点集中

3年生になって体育祭が終わるとみんな目の色が変わります。

私も目標を掲げて勉強に一点集中する日々が始まりました。

どうしても国立大学に入ることが目標だったので5教科全てで点数が必要となります。根っからの理系人間の私は国語が大の苦手

 

得意科目と暗記科目に全集中

国語という教科はなかなか点数が伸びにくい。

なのでまずは得点源にしたい数学と比較的点数が伸びやすい社会、理科に取り組みました。

社会はセンター試験用の日本史、理科は二次試験に1教科だけの国立大学を受験するため物理一本に絞った勉強法。

大学センターで点数がとれればいい日本史については、とにかく教科書を何度も繰り返して読む、暗記するくらい。

そもそもセンター試験レベルなら教科書の範囲を逸脱してくることはありません。

 

食う寝る時間以外は勉強した夏休み

一日14時間の受験勉強

暗記科目の日本史については得点源にすべく夏休みに猛特訓。

そもそも効率的な勉強法の研究もさることながら圧倒的に勉強時間が不足していたので、夏休みには一日24時間あるうちにお風呂やご飯の時間以外は全て勉強に費やしてました。

一日に14時間勉強したとして夏休みが40日なので合計560時間は夏休み期間の勉強時間に投入したかと思います。

 頑張れば自分の人生が変わる

どうせ勉強以外他にやることはない時期です。

 一生のうち、ここ半年そこら集中して頑張れば自分の人生が変わると自分にいいきかせながら、とにかく勉強ばかり。

あと数学と英語についても習ってきた範囲の総復習の日々。

センターと大学特有の記述式問題に対応する必要がある数学については高度な記述式の問題対策に力を入れました。

記述式ができればマークシートセンター試験も大丈夫なので。

 

夏休み明けの模試からは徐々に成果が出始めて目標の大学も射程圏内に入ってきました。

割と努力した分点数が伸びてくれました。

センター試験は不調でも国立大学合格

ついに1月になってセンター試験本番は思ったほど点数が取れず目標大学を変更せざるを得ない状況でした。

それでも目標設定をわざと少し高めに置いていたので大丈夫。

一番最初から心の奥底ではずっと狙ってた地元の国立大学は狙えました。

かなり学科は最初の狙いと変わりましたが、私の場合は何になりたいかではなく、どこの大学に行くのかが全てでした。

 

理科2教科まで勉強するだけの余裕がなかったので理科は物理ひとつだけ。

その影響で受けれる大学や学部学科が絞られてしまいます。

 

それでも二次試験は数学と英語と物理の準備が必要でした。

結果として滑り止めと思って受けた方が落ちましたが、本命とした地元国立大学には無事に現役で合格できました。

 

滑り止めの大学では受験表は忘れたうえ自分の不得意な範囲がでて全く手応えがなく、当たり前の結果でした。

二次試験は3月頃で夏休みから全力投球してきた自分は少し息切れしてました。

浪人だけは絶対にしたくないという願いだあったので合格してホッとしました。

大学受験勉強の価値は?

受験勉強は経験こそ一生の無形財産

大学受験を真正面から取り組んだ過程や経験は私の一生の無形資産になりました。

日本社会はなんだかんだいっても出身大学で人を見る傾向があります。

私は決して学歴絶対主義者ではありませんし、社会に出て出身大学で得した経験もありません。

同じ大学の出身でも一人ひとりに個性があり人間的に均一なものではないのは明らかです。

ただし、それだけの基礎学力や学問に対しての素地があるかないのかを推し量るひとつの指標、モノサシにはなっているのでは。

学校の二極化が進む

最近は少子化の影響もあり地方の高校は定員割れが当り前になってきています。

一方で県庁所在地にある歴史伝統のある進学公立高校の倍率は高い水準で二極化が進みつつあります。

 

全入時代といわれる大学についても二極化が進みつつあるのではないでしょうか。

少なくても大学受験は、ある一定期間、長期的に勉強時間を確保して取り組む時期が存在しないとクリアできないリトマス試験紙的な役割にはなってるような、、、。

自分で長期的な視野をもってコツコツと努力を積み上げていく学びのなかには人間的な成長があるものと私は思います。

学びの二極化が進む 

残念ながら日本社会は大学受験で学びを終わってる大人が多い。

日本人の大人の一日の平均勉強時間は6分

あまり学びのない業務上のスキルしか必要としない仕組みになっていてもったいないと感じます。

令和の時代はますます学びについての二極化が進むような気がしてるのは私だけでしょうか。

 

以上こまこまでした。

 

komakoma41.hatenablog.com

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